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12/01

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神田キリスト教会
〒101-0021
千代田区外神田3-5-11
電話 03-3251-4981 地図

毎週日曜日
7 時 30分  聖餐式
9 時 30分  日曜学校礼拝
10 時 30分  聖餐式

*7月5日より、
 次の注意のもと、礼拝(公祷)を再開いたします。
 マスクの常時着用/手指のこまめな消毒/人と人との間
 の距離(ソーシャルディスタンス)の確保/検温の奨励
 礼拝に初めて出席される方には連絡先をご記入いただき
 ます。
 体調がすぐれない方は無理して出席せず、
 ご自宅でお休みください。


*逝去された方々の魂の平安、感染された方々の回復、
 感染の収束をお祈りいたします。



毎月第3金曜日
11 時   逝去者記念礼拝

*結婚式をご希望の方は牧師にご相談ください。

09/20

 天の国は、ある家の主人がぶどう園で働く労働者を雇うために夜明けに出かけて行くようなものであるとあります。ぶどう園の主人は、夜明けとともに労働者市場に出かけます。最初に雇った人たちと一日一デナリオン(一日の日当)の契約をします。主人は、また九時頃に行ってみると、広場に何もしないでいる人々がいたので「あなたがたもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやる」と言います。ふさわしいは、デカイオスで正しい、正当な、当然のということです。主人は、十二時、三時に行き、最後には五時にも行きます。主人が尋ねますと、「誰も雇ってくれないのです」と応えます。主人は、この人たちもぶどう園に送り出します。賃金を支払う夕方六時、主人は監督に、最後の者から始めて最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさいと言います。一時間しか働かなかった人たちは一デナリオンずつ受け取ります。十二時間働いた人たちは、もっと多くもらえるだろうと思いましたが、同じ一デナリオンでした。この人たちは主人に不平をもらします。主人は、最後の者たちにも、あなたがたと同じ一デナリオンを払ってやりたいのだと言います。誰にとっても生きるためには正当な一デナリオンが必要です。ぶどう園は辛抱するところではなく、主人と一緒にいることができる天の国です。

聖霊降臨後第16主日(特定20 A年)
 ヨナ書 3章10節~4章11節
 詩編 第145編8~13節
 フィリピの信徒への手紙 1章21~28a節
 マタイによる福音書 20章1~16節

<特祷>
憐れみ深い全能の神よ、どうか主の豊かな恵みによって、
すべての害あるものから守ってください。体と魂とに備え
をし、あなたのみ心の思いを喜んで成し遂げることができ
ますように、父と聖霊とともに一体であって世々に生き支
配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたし
ます。アーメン

<第1朗読> ヨナ書 3章10節~4章11節
10神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧にな
  り、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられ
  た。
4:1ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は
  怒った。
2 彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国に
  いましたとき、言ったとおりではありませんか。だか
  ら、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたので
  す。わたしには、こうなることが分かっていました。
  あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈し
  みに富み、災いをくだそうとしても思い直される方で
  す。
3 主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きて
  いるよりも死ぬ方がましです。」
4 主は言われた。
  「お前は怒るが、それは正しいことか。」
5 そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そし
  て、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座
  り、都に何が起こるかを見届けようとした。
6 すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの
  木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びて
  ヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったの
  で、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜
  んだ。
7 ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、
  とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてし
  まった。
8 日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつ
  けるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけた
  ので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言っ
  た。
  「生きているよりも、死ぬ方がましです。」
9 神はヨナに言われた。
  「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しい
  ことか。」
  彼は言った。
  「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」
10すると、主はこう言われた。
  「お前は、自分で労することも育てることもなく、一
  夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さ
  え惜しんでいる。
11それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネ
  ベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万
  人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がい
  るのだから。」
 
<詩編> 第145編8~13節
8 主は恵みと憐れみに満ち || 怒るに遅く、慈しみ深い
9 主の恵みはすべてのものに及び || 慈しみは造られた
  すべてのものの上にある
10主よ、造られたすべてのものはあなたをたたえ || 忠
  実な僕たちは感謝して歌う
11彼らはみ国の栄光を語り || 力あるみ業を告げる
12人の子らはあなたの力あるみ業と || み国の栄光を知
  るようになる
13あなたの国は永遠の国 || あなたの支配は世々に及ぶ

<第2朗読> フィリピの信徒への手紙 1章21~28a節
21わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬこ
  とは利益なのです。
22けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きが
  でき、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりませ
  ん。
23この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方で
  は、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望し
  ており、この方がはるかに望ましい。
24だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのため
  にもっと必要です。
25こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて
  喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共に
  いることになるでしょう。
26そうなれば、わたしが再びあなたがたのもとに姿を見
  せるとき、キリスト・イエスに結ばれているというあ
  なたがたの誇りは、わたしゆえに増し加わることにな
  ります。
27ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさ
  い。そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うに
  しても、離れているにしても、わたしは次のことを聞
  けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっか
  り立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦って
  おり、
28どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろ
  ぐことはないのだと。

<福音書> マタイによる福音書 20章1~16節
1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人
  が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出
  かけて行った。
2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者を
  ぶどう園に送った。
3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に
  立っている人々がいたので、
4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃
  金を払ってやろう』と言った。
5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二
  時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていた
  ので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っている
  のか』と尋ねると、
7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。
  主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさ
  い』と言った。
8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者た
  ちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者
  まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリ
  オンずつ受け取った。
10最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだ
  ろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつ
  であった。
11それで、受け取ると、主人に不平を言った。
12『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでし
  た。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたち
  と、この連中とを同じ扱いにするとは。』
13主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なこ
  とはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約
  束をしたではないか。
14自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後
  の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいの
  だ。
15自分のものを自分のしたいようにしては、いけない
  か。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
16このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後
  になる。」

09/13

 「仲間を赦さない家来」のたとえはマタイだけの記述です。ペトロがイエスに、兄弟がわたしに対して罪を犯したら、七回まで赦すべきですかと尋ねます。イエスは、七の七十倍、つまり無限に赦しなさいと応えます。この個所を前節につなげている聖書もあります。イエスは、天の国は王が家来たちと貸した金の決済をするようなものだと言われます。主君は、一万タラントン-一タラントンは六千デナリオンですから六千万デナリオン、十六万年分相当の日当-を借りている家来に家族と持ち物全てを売り払って返済を求めます。この家来は、全部返しますから待ってくださいと懇願します。主君は、自分の内臓が痛む(スプランクニゾーマイ)ほどに憐れみ、家来の膨大な借金を帳消しにします。この家来は、自分から百デナリオン(百日分の日当)を借りている仲間に出会い、首を絞めて返済を迫ります。返済できない仲間を牢に入れてしまいます。同僚たちは、これを見て非常に心を痛め、主君にこの出来事を報告します。主君は、悪い家来め。わたしがおまえを憐れんでやったように、おまえも仲間を憐れんでやるべきではなかったかと言って、その家来を牢役人に引き渡しました。借金とは罪のことです。自分になされた罪は忘れ難いのですが、自分がした罪は忘れ易いのです。そのような人でも、王はその人の罪を赦してくださいます。

聖霊降臨後第15主日(特定19 A年)
 シラ書 27章30節~28章7節
 詩編 第103編8~13節
 ローマの信徒への手紙 14章5~12節
 マタイによる福音書 18章21~35節

<特祷>
神よ、あなたに寄らなければわたしたちはみ心にかなうこ
とができません。どうか何事をするにも、聖霊によってわ
たしたちの心を治め、導いてください。主イエス・キリス
トによってお願いいたします。アーメン

<第1朗読> シラ書 27章30節~28章7節
30憤りと怒り、これはひどく忌まわしい。
  罪人にはこの両方が付きまとう。
28:1復讐する者は、主から復讐を受ける。
  主はその罪を決して忘れることはない。
2 隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、
  願い求めるとき、お前の罪は赦される。
3 人が互いに怒りを抱き合っていながら、
  どうして主からいやしを期待できようか。
4 自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、
  どうして自分の罪の赦しを願いえようか。
5 弱い人間にすぎない者が、
    憤りを抱き続けるならば、
  いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。
6 自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
  滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。
7 掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。
  いと高き方の契約を忘れず、
    他人のおちどには寛容であれ。
 
<詩編> 第103編8~13節
8 主は恵み豊かに、憐れみ深く || 怒るに遅く、慈しみ
  は深い
9 常に憤る心を鎮め || いつまでも怒りを続けられない
10罪に従ってわたしたちをあしらわず || とがに従って
  罰を下すことはない
11天が地より高いように || 神を畏れる人への慈しみは
  大きい
12東と西が果てしなく遠いように || 神はわたしたちを
  罪から引き離される
13父が子供を憐れむように || 主の憐れみは、神を畏れ
  る人の上にある

<第2朗読> ローマの信徒への手紙 14章5~12節
5 ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を
  同じように考える人もいます。それは、各自が自分の
  心の確信に基づいて決めるべきことです。
6 特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる
  人は主のために食べる。神に感謝しているからです。
  また、食べない人も、主のために食べない。そして、
  神に感謝しているのです。
7 わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人
  はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。
8 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬ
  とすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにし
  ても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。
9 キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生
  きている人にも主となられるためです。
10それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのです
  か。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは
  皆、神の裁きの座の前に立つのです。
11こう書いてあります。
  「主は言われる。
  『わたしは生きている。
  すべてのひざはわたしの前にかがみ、
  すべての舌が神をほめたたえる』と。」
12それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて
  神に申し述べることになるのです。

<福音書> マタイによる福音書 18章21~35節
21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。
  「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回
  赦すべきでしょうか。七回までですか。」
22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どこ
  ろか七の七十倍までも赦しなさい。
23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王
  が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家
  来が、王の前に連れて来られた。
25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、
  自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するよ
  うに命じた。
26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全
  部お返しします』としきりに願った。
27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金
  を帳消しにしてやった。
28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオン
  の借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞
  め、『借金を返せ』と言った。
29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』
  としきりに頼んだ。
30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金
  を返すまでと牢に入れた。
31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の
  前に出て事件を残らず告げた。
32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届
  きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しに
  してやったのだ。
33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の
  仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまで
  と、家来を牢役人に引き渡した。
35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないな
  ら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさる
  であろう。」

09/12

9月16日(水)、定員50名で、下記の対策を取らせていただいたうえで、ランチタイムパイプオルガンコンサートを開催いたします。

日時:2020年9月16日(水) 12時20分~50分

定員:50名(入場無料 自由献金あり)
   定員に達し次第、
   入場を締め切らせていただきます。

新型コロナウイルス感染防止のため、
次の項目をしていただいたうえでご入場ください。
 ・検温
 ・マスクの常時着用
 ・手指の消毒
 ・お名前とご連絡先の記入
 ・お席は、プログラムの置いてあるところに
  ご着席ください

演奏:和田 純子

曲目:
J. S. バッハ
 「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV662-664
J. ハイドン
 音楽時計のための小品
J. S. バッハ
 幻想曲とフーガ イ短調 BWV904

09/12

関 正勝 司祭 説教 聖霊降臨後第13主日(特定17 A年)
マタイによる福音書 16章21~27節

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(マタイ福音書16章25節)

 今日の福音は先主日に続けてイエス一行がエルサレムに向かう途上での出来事が与えられています。先主日の福音書ではイエスご自身が弟子たちに「人々は、人の子(すなわち、御自身のこと)のことを何者だと言っているか」(マタイ16章13節)と問いかけておられます。弟子たちは人々の口に上っている言葉をあれこれと伝えます。それを受けてイエスはさらに、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(15節)と弟子たちに問いかけられています。大変に緊張が漲る場面です。弟子の代表格であるペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」(16節)。イエスはこのペトロの答を受けて、ペトロがこのように答えられたのは神がペトロに働きかけられたからであり、したがって「ペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(18節)とまで語って、彼がその後の教会の基礎となる「岩」(ペトロ)であることを弟子たちに宣言されたのでした。

 先主日の福音書でのイエスの問いかけ「あなたがたはわたしを何者と言うか」こそが福音の中心に他ならないでしょう。そしてペトロの「あなたはメシア、生ける神の子です」との応答がわたしたちの信仰であることを伝えておりましょう。ところが、このペトロの信仰告白が今日の福音書では厳しく問い返されることになっています。わたしたちは再びイエスの「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」との問いかけの前に立たされています。わたしたちの告白は、どのような内容をうちに秘めていることでしょうか? ペトロのこの告白は、今日の福音の伝える箇所では悲しくも崩れ去っているようです。と申しますのは、イエスは先主日のペトロたちとの会話に続けて、御自身の身にこれから起こる苦難と死のことを話し始められると、ペトロは「イエスをわきへお連れして、いさめ始め…、主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と激しく抗議しています。

 イエスは厳しくペトロのこの理解を諫め始められます。わたしたちは身の引き締まる思いがいたします。イエスは言われます。「サタン、引き下がれ、あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている」。ペトロはサタンとまで叱責されてしまいます。イエスへの「あなたはメシア、生ける神の子です」とのペトロの告白には、十字架を負い、苦難の道を歩む救い主という姿は、受け入れ難い姿であったに違いありません。イエスと共に歩んできた弟子たちにとって、乗り越えがたい悲しみや困難が多くあればあるほどに救い主であるはずのメシアの理想の姿は大きく膨らみ、力強い存在へと高められていったに違いありません。ペトロのイエスへの信仰告白のうちにはそのような強大な力を持ったメシア・自分たちが直面している解決できない困難や悲しみを大きな力でもって克服解決してくださる方への期待が込められていたに違いありません。それゆえ、十字架に死なれる方を「メシア、生ける神の子」と信じるには大きな困難があったに違いありません。しかし、それでは「神のことを思わず、人間のことを思っている」に他ならない、とイエスは言われるのです。そしてイエスは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」。そしてこの言葉に続けてイエスの十字架が救い・命をもたらすことの逆説の真理を伝えてくれています。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」と言うのです。現代のわたしたちは自分の命を得ようとして、自分の命を脅かしかねない現実や他者を退けて、安全地帯を確保使用としますが、それは十字架を負うことを拒むことであり、結局そうして一人孤独のうちに命を失うか、それとも自分とは異なり、共に生きる事がときに不都合でさえある存在や現実を受け入れること、すなわち十字架を背負うことで命を経験するのか、とイエスは「あなたはわたしを何者と言うか?」と、問いかけておられます。

アーメン

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