FC2ブログ

最新の記事一覧

10/01

kanda-yoko-web.jpg
神田キリスト教会
〒101-0021
千代田区外神田3-5-11
電話 03-3251-4981 地図

毎週日曜日
9 時 30分  日曜学校礼拝
10 時 30分
第1、第3~第5日曜日
      聖餐式
第2日曜日 み言葉の礼拝

早朝聖餐式の日程 
日程が決まり次第お知らせいたします。

毎月第3金曜日
11 時   逝去者記念礼拝

*結婚式をご希望の方は管理牧師にご相談ください。

08/14

8月15日(水)、ランチタイムパイプオルガンコンサートを開催いたします。
皆さま、暑い最中ですがどうぞお越しください。

日時:2018年8月15日(水) 12時20分~50分
入場:無料(自由献金有り)
演奏:福本茉莉
曲目:
 J. C. ケルル
   トッカータ 第一番
 C. P. E. バッハ
   ソナタ ヘ長調 Wq 70/3
     I. アレグロ  II. ラルゴ Ⅲ. アレグレット
 C. S. バッハ
   トッカータ ホ長調 BWV566

08/12

 今日の箇所には「イエスは命のパン」とあります。先主日は6:24~34で今日はその続きです。6:37~40までの箇所は、葬送式や通夜の祈り、また逝去者記念の祈りの中で朗読される福音書の一つでしばしば聴く機会があります。「意志」と「御心」は同じティレイマで4回、「終わりの日に復活させる」は3回、「永遠の命」は2回、「わたしは(天から降って来た)命のパン」は6回用いられています。イエスは天から降って来た命のパンであり、このパンを食べる者は永遠の命を得、終わりの日に復活させられます。天から降って来たパンは、ユダヤ人の先祖が食べたマンナとは違います。彼らは死にました。しかし、天から降って来た命のパンを食べる者は、永遠の命に生かされ、終わりの日に復活させられます。なぜなら、イエスが与えるパンは、世を生かすご自分の肉だからです。イエスのパンである肉を食べる者は、イエスによってまことの命を与えられ、永遠の命に至ります。父が、その人をイエスに引き寄せてくださるからです。死に至るマンナを食べるだけで
あったわたしたちをイエスのもとに引き寄せてくださいました。食べる者が、主イエスと同じように食べられる者に変えられます。イエスは永遠の命の方角を示します。

聖霊降臨後第12主日 B年 特定14
 申命記 8章1~10節
 詩編 第34編1~8節
 エフェソの信徒への手紙 4章30~5章2節
 ヨハネによる福音書 6章37~51節

08/05

 しばらくヨハネ福音書6章から福音を聴きます。「五千人に食べ物を与える」と「湖の上を歩く」の後に、今日の「イエスは命のパン」が続きます。パンで満腹になった群衆は、またパンが欲しいと執拗にイエスを捜します。彼らは「ラビ(先生)、いつここにおいでになったのですか」と尋ねます。イエスは「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物ではなく、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と言われます。彼らは「神の業を行うためには、何をしたらよいか」と行為にこだわります。イエスは「神が遣わされた者を信じること。これが神の業だ」と、行うことではなく信じることを言われます。彼らは「あなたを信じるためにマナをください」と再び食べ物にこだわります。イエスが「神のパンは世に命を与える」と言われますと、彼らは「そのパンをいつもわたしたちにください」と言います。イエスは「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えず、わたしを信じる者は決して渇かない」と言われます。イエスと群衆の会話は、しりとりゲームのように進行しますが噛み合いません。群衆やわたしたちは、腹を満たす物質に目を奪われ、見えない命のパンを見失うことがあります。イエスは永遠の命という魂の食べ物を示されます。

聖霊降臨後第11主日 B年 特定13
 出エジプト記 16章2~4, 9~15節
 詩編 第78編23~29節
 エフェソの信徒への手紙 4章17~25節
 ヨハネによる福音書 6章24~35節

07/29

 今日の福音書は「湖の上を歩く」で、マタイとヨハネにもあります。同じく「五千人の給食」の後に記されます。タブハが五千人の給食の場所なので向かっているベトサイダは10㎞程です。イエスは弟子たちを強いて舟に乗せます。群衆を解散させ、祈るために山に行かれます。山は神と出会う場所です。一方、湖は、この世を象徴する場所です。弟子たちの乗った舟は、湖の真ん中にあります。イエスは山にいます。逆風が弟子たちを悩ませます。イエスは弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見ながら、夜明けの3~6時頃、湖の上を歩いて弟子たちのところを通り過ぎようとされます。原文では「通り過ぎることを欲した」となります。これはモーセの前を主の栄光が通り過ぎたように(出エジプト33:22)、神の顕現を表します。弟子たちは、荒れた湖の上を平然と歩かれるイエスを見て幽霊だと思い、大声で叫びます。歩くは、生活する、振る舞うとも訳せます。イエスは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われます。「わたしだ」はエゴー・エミーで「わたしはある」という神宣言です。イエスが漕ぎ悩む舟という教会に乗り込まれると風は静まります。イエスは、弟子たちに強いて逆風の荒波を経験させます。イエスが舟の中におられるので目的地の神の国に到達します。

聖霊降臨後第10主日 B年 特定12
列王記 下 2章1~15節
 詩編 第114編
 エフェソの信徒への手紙 4章1~7, 11~16節
 マルコによる福音書 6章45~52節

プロフィール

カレンダー

カテゴリ

FC2カウンター

QRコード