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05/20

 今日は聖霊降臨日、ペンテコステとも言います。主イエス・キリストの復活日から50日目でギリシャ語で50を意味する言葉です。第1朗読の使徒言行録2:1~11にも、「五旬節の日が来て」とあります。この日、弟子たちは最後の晩餐の家で祈っていました。彼らの上に聖霊が降ります。すると、彼らは、ほかの国々の言葉で神の偉大なみ業を語ります。この箇所では、主イエスが復活された夕方に弟子たちの前に現れ、「あなたがたに平和があるように」と2回、そして「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と、息を吹きかけ「聖霊を受けなさい」と言われます。使徒言行録とは異なります。ヨハネ福音書は、復活後50日目ではなく、復活されてすぐ聖霊を与えます。そして、「だれの罪でもあなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でもあなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」と言われます。ヨハネ3:17~18で「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じないからである」とあります。聖霊はまことの命を与え、聖霊は罪を赦し、聖霊は福音を与えます。

聖霊降臨日
 使徒言行録 2章1~11節
 詩編 104編30~35節
 コリントの信徒への手紙一 12章4~13節
 ヨハネによる福音書 20章19~23節

05/13

 福音書はヨハネ14~17章の告別説教の一部です。17章には「イエスの祈り」とあります。この箇所はイエスの執り成しの祈りです。執り成しとは、代祷です。代祷は、他の人たちを覚えてその人たちのために祈ることです。先週の木曜日は昇天日でした。イエスは、世に弟子たちを残して天に行かれます。弟子たちを覚えて弟子たちのために願い祈ります。「聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください」と祈ります。守るはティレオーで3回、同じような語で保護するフュラッソーが1回使われます。父なる神が与えられた御名であるイエス・キリストは、弟子たちを守ってください、保護してくださいと熱く祈ります。何故なら、世は弟子たちを憎んでいるからです。17:14bの「わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです」と全く同じ言葉の17:16で、15節の「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです」を挟んでいます。これが中心です。弟子たちは、世から取り去られるのではなく、悪い者から守られ、世にあってキリストの弟子として生きるのです。間もなく、聖霊なる主が弟子たちを守ります。

復活節第7主日(昇天後主日) B年
 使徒言行録 1章15~26節
 詩編 第47編
 ヨハネの手紙一 5章9~15節
 ヨハネによる福音書 17章11c~19節

05/06

 今日の福音書は「互いに愛し合いなさいの命令」です。それが2回繰り返されます。11節の「わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」が中心となり、前と後の文が対応しています。愛は、エロス、フィロス、アガペーの3つの語があります。神の愛はアガペーであり、この箇所ではすべてアガペー「愛」、アガパオー「愛する」が用いられています。愛は、本田哲郎訳では「大切にする」と訳されます。互いに愛し合うことは、互いに大切にし合うことです。互いに大切にし合うことが、イエスの掟です。「友のために命を捨てること、これ以上の愛はない」とあるところの友は「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」という友です。だれでもが友になるのではありません。イエスの掟を行う者だけが友です。はっきりと確認する必要があります。イエスの愛の掟を行う者は、イエスの僕ではなく、イエスの友となります。命を捨てるはティセイミで、16節の「わたしがあなたがたを任命した」の任命もティセイミです。わたしたちは互いに大切にするために、友のために命を捨てるために任命されたのです。これこそが「喜びを満たされる」こと、喜びの完成です。

復活節第6主日 B年
 使徒言行録 11章19~30節
 詩編 第33編1~8, 18~19節
 ヨハネの手紙一 4章7~21節
 ヨハネによる福音書 15章9~17節

04/29

 イエスの告別説教の一部で「聖霊を与える約束」です。
15節「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」と、21節「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である」で前後を挟んでいます。仮定と結果の順序が逆です。18節「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」が真ん中にあり前と後に分けています。前文は、別の弁護者である真理の霊は、あなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからであるとなっています。後文は、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かるとなっています。前文は、別の弁護者が弟子たちの内にいるのです。後文は、イエスが弟子たちの内にいるのです。弁護者はパラクレートスです。パラは傍にで、クレートスは呼び寄せられた人です。弁護者、後見人、助け手となります。別の弁護者は真理の霊ですが、もう一人の弁護者はヨハネの手紙Ⅰ2:1に「御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます」とあるので、弁護者はイエス・キリストです。これらの弁護者がわたしたちを愛の業に導き、永遠の命に至らせます。愛はわたしたちの目を開きます。

復活節第5主日 B年
 使徒言行録 8章26~40節
 詩編 第66編1~8節
 ヨハネの手紙一 3章18~24節
 ヨハネによる福音書 14章15~21節

04/22

 ユダヤの荒れ野で羊の群れを追っている少年がいました。炎天下の荒れ野には何もありません。所々に藪が茂っていて、それを羊が食べています。決して豊富な緑ではありません。世界中で、食料として一番食べられている動物は、牛や豚ではなく羊だそうです。羊は飼育が簡単なのかもしれません。羊は自分の身を守る術を持たない動物です。角も牙もありません。足も速くはありません。毛はウールになります。貴重な動物です。
 羊が自分のものでない雇い人の羊飼いは、狼が来るのを見ると逃げます。自分の羊ではないので、狼に食べられても心も懐も痛みません。狼は奪い食べ、あるいは追い散らします。雇い人の羊飼いと狼は、自分のために羊を利用しています。しかし、イエスはわたしは良(善)い羊飼いであると言われます。良い羊飼いであるわたしは羊のために命を捨てると言われます。捨てるは、ティセィミで置く、横たえるという意味があります。命(プシュケー)を置くので、命を捨てると訳します。キリストは、自分をよく知る弱い羊のために命を一旦置きます。わたしたちも、弱い羊のために命を置くことを知ると、そこに生きる意味を見出します。心も体も楽になります。

復活節第4主日 B年
 使徒言行録 4章32~37節
 詩編 第23編
 ヨハネの手紙一 3章1節~8節
 ヨハネによる福音書 10章11~16節

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