最新牧師コラムの記事一覧

08/13

 今日の福音書は「湖の上を歩く」とあります。マルコ6:45~52とヨハネ6:15~21に平行箇所があります。ペトロが湖の水の上を歩く話はマタイだけに記されています。ペトロたちは、イエスによって強いて舟に乗せられ逆風に悩みます。夜通し漕ぎ悩んでいると、水の上を歩く人影が見えます。「幽霊だ」と驚き叫びます。イエスは「安心しなさい。わたしだ(エゴー・エミィ)。恐れることはない」と言います。ペトロは「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と願います。イエスを見つめているうちは水の上を歩けますが、強い風に気付き沈みかけます。イエスはペトロを捕まえ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われます。ペテロは水の上に足を踏み出す信仰はありました。しかし、イエスだけを見つめることができず強い風に気を取られました。信仰が薄いことは、信仰がないのではありません。薄い信仰のペトロではありますが、主イエスを見つめる信仰が強められていきます。信仰は、疑いながらも強められていくものです。主イエスへの信仰によって誰でも水の上を歩けます。

聖霊降臨後第10主日 A年 特定14
 ヨナ書 2章2~10節
 詩編 29編
 ローマの信徒への手紙 9章1~5節
 マタイによる福音書 14章22~33節

08/06

 今年はA年ですから、聖霊降臨後の福音書はマタイが中心です。しかし、今日の主日は8/6で主イエス変容の日ですからこちらが優先します。「イエスの姿が変わる」という今日の箇所は、その前の「イエス、死と復活を予告する」の後に記され、その2カ所後にも「再び自分の死を予告する」があり、それらの間に記されます。主イエスがご自分の死と復活を予告される箇所が3つあり、最後は18:31の「イエス、三度死と復活を予告する」があります。主イエス変容貌の箇所は、これら死と復活を予告する箇所に挟まれて重要な意味を示しています。この箇所は、3福音書に共通していてマタイ17:1~8と、マルコ9:2~8です。しかし、ルカ9:31と9:36はルカ独自の記述で他の2つの福音書にはありません。モーセとエリヤは、イエスの最期について話していました。最期は、エクソドスですが出エジプト記のタイトルでもあり、主イエスの十字架の死を意味しますが、十字架の死は死を突き抜けて復活の命へと続く最期です。十字架の死は、死は終わりではなくそこから永遠の命へ大脱出が始まるのです。

主イエス変容の日 A年
 出エジプト記 34章29~35節
 詩編 99編5~9節
 ペトロの手紙二 1章13~21節
 ルカによる福音書 9章28~36節

07/30

 「パン種」のたとえと「天の国」のたとえです。5つの話から成ります。初めの2つは「天の国は~に似ている」とあり、後の3つは「天の国は~にたとえられる」とあります。たとえ話は、たとえられるものを理解し易くしますが、イエスが話されるたとえ話は分かりやすいとは決して言えません。それほどに、天の国を説明することは難しいのです。
 からし種はとても小さく畑に蒔かれて大きく成長します。パン種もとても小さく粉の中に混ぜられて膨らませます。畑に宝が隠されていて見つけた人は、全財産を売り払いその畑を買います。普通の真珠の中に良い真珠を見つけた人は、全財産を売り払いその高価な真珠を買います。湖の中に投げ込まれた網がいろいろな魚を集めます。これらの話は、湖の話を除いて畑、粉、畑、普通の真珠の中に、全財産と引き替えるほどの隠された大きな喜びがあることを表現しています。天の国は普通の生活の中に隠されていますが、見つけた人は自分の人生が変えられるほどの大きな喜びを得ます。

聖霊降臨後第8主日 A年 特定12
 列王記上 3章5~12節
 詩編 119編105~112節
 ローマの信徒への手紙 8章26~34節
 マタイによる福音書 13章31~33, 44~49a節

07/23

 天の国のたとえです。たとえは、頭ではなく心に語りかけてきます。36~43節は、頭に語りかけますのでイエスの言葉ではなく初代マタイ教会の記述です。イエスの思いは、つまずきとなるもの、不法を行う者どもを燃え盛る炉に投げ込むだけが目的ではありません。
 ある人が良い種を畑に蒔きます。敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行きます。僕たちの問いに、主人は「敵の仕業だ」と応えます。僕たちは抜き集めましょうか」と言いますが、主人は「いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかも知れない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」と応えます。「両方とも育つままにしておきなさい」を、岩波訳では「双方とも一緒に成長させなさい」、岩隈訳では「両方ともいっしょに成長するままにしておけ」とします。両方、双方はアンフォテロイで、一緒に成長するはスンアウカノーで、麦も毒麦も両方(双方)一緒に成長させたままにと、両方と一緒が繰り返されます。「…ままにしておく」はアンフィエーミで罪を赦すという意味もあります。一つの畑の中に良い麦も悪い麦もあるのです。主人は、わたしたちの中で両方一緒に育つままにさせ、良い麦が多くなるのを忍耐強く待たれます。

聖霊降臨後第7主日 A年 特定11
 知恵の書 12章13, 16~19節
 詩編 第15編
 ローマの信徒への手紙 8章18~25節
 マタイによる福音書 13章24~30, 36~43節

07/16

 「『種を蒔く人』のたとえ」と「『種を蒔く人』のたとえの説明」とあります。主イエスは、湖のほとりに座って教えようとしたのですが、群衆が余りにも大勢なので舟に乗って座り教えました。教える人は座り、教えを受ける人は立ちます。ユダヤの種蒔きは、耕してから畑に蒔くのではなく種を蒔き終わってから耕します。種を蒔いたところが畑になります。道はあるのではなく、人が歩くから道になります。石地や茨であっても種を蒔いて耕せば畑になります。種蒔く人は、ところかまわず種を蒔きます。ここは道だから、石地、茨だから蒔かないとは言いません。たまたま良い土地に落ちた種は百倍、六十倍、三十倍になります。
 18~23節のたとえの説明は、イエスが言われたのではなく初代教会が記したものです。「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人」とあります。良い土地になれるように努力しましょうとなりますと福音ではなく道徳になるような気がします。福音とは、道であっても、石地、茨でも、種蒔く人は種(福音)を蒔いてくださることです。種を蒔かれると、土地は芽を出させようと変わります。

聖霊降臨後第6主日 A年 特定10
 イザヤ書 55章1~5, 10~13節
 第65編9~13節
 ローマの信徒への手紙 8章9~17節
 マタイによる福音書 13章1~9, 18~23節

プロフィール

カレンダー

カテゴリ

FC2カウンター

QRコード