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02/18

 2/14の大斎始日から3/31(土)までの主日を除く40日間の大斎節が始まりました。今年の復活日は4/1になります。2/14灰の水曜日下町合同礼拝は58名の参加がありました。額に灰の十字架のしるしをいただいてご聖体に与りました。いよいよ大斎の始まりです。
 大斎は誘惑について特に考え行動する期間です。40日間の大斎克己献金を続けることも誘惑のひとつです。献金先を考えて行うのではなく、自分の罪を克服するための克己献金です。本日のマルコ福音書には、どのような誘惑か記してありません。マタイ福音書とルカ福音書は、その順番は違いこそ三つの誘惑があります。40日間の断食を終えた後、一番目は石がパンになるように命じなさいです。二番目は神の子なら神殿の屋根から飛び降りろです。三番目はわたしをひれ伏し拝むなら、すべての国々の繁栄を与えるであります。誘惑はペイラスモス(動詞はペイラゾー)で、試練という意味もあります。誘惑は人を弱くしますが、試練は人を強くします。誘惑にするか、試練にするかは、その人自身に委ねられています。イエスは、誘惑を試練に変えて十字架へと歩まれ復活されます。

大斎節第1主日 B年
 創世記 9章8~17節
 詩編 第25編4~10節
 ペトロの手紙一 3章18~22節
 マルコによる福音書 1章9~13節

02/11

 「イエスの姿が変わる」 と題があります。この並行箇所は、マタイ福音書17:1~9とルカ福音書9:28~36にあります。これら三箇所の変容貌の話の前に、「ペトロ、信仰を言い表す」、「イエス、死と復活を予告する」があり、後に「汚れた霊(または悪霊)に取りつかれた子をいやす」と「再び自分の死と復活を予告する」と続きます。「イエスの姿が変わる」という変容貌の話は、三つの並行箇所すべてにおいて、ペトロの信仰告白とイエスが死と復活を予告するの後であり、そして再び自分の死と復活を予告するの間に挟まれています。イエスの姿が高い山で真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほどに白くなります。イエスの姿は、この世のものと思えぬほどに真っ白に輝くのです。エリヤは預言を、モーセは律法を象徴しています。イエスは預言と律法の完成です。ペトロは仮小屋(天幕)を建て三人を祭ろうとします。弟子たちは非常に恐れていて何を言って良いのか分かりません。そのとき、雲の中から「これはわたしの愛する子。これに聞け」と父なる神の声がします。イエスの真っ白な栄光の姿は、十字架の死と復活が光り輝かせるのです。栄光は十字架です。

大斎節前主日 B年
 列王記上 19章9~18節
 詩編 第27編5~11節
 ペトロの手紙二 1章16~19節
 マルコによる福音書 9章2~9節

02/04

 イエスは、安息日の礼拝後すぐに会堂を出て、近くのシモンの家を訪れます。シモン(ペトロ)の姑が熱を出して寝ています。そこにいた人々は、イエスに癒やしてくれるように願います。イエスは男ですが、ペトロの姑の部屋に入り、彼女の手を取って起こします。起こすはエゲイローで復活するにも用います。すると熱は去り、彼女は一同をもてなしたのです。もてなすのディアコネオーは、単に食事の給仕をしたということではなく、仕える、奉仕する、執事として仕えるという意味もあります。ユダヤの社会では、受け入れられないだろうと思われる、男が女の部屋に入り、手を取って起こすことをイエスはしたのです。イエスは、安息日にも拘わらず病人を癒やしました。姑は一度だけ仕えたのではなく、未完了動詞ですからその後イエスに仕え続けたのです。姑は最初の女性執事であったかもしれません。町の人々は、安息日が終わる夕方に病人や悪霊につかれた者たちを戸口に連れて来ました。イエスは、病人を癒やし、悪霊を追い出しました。悪霊は、自分が愛されてはいないのではないかと不安に迷うビタミン愛の欠乏です。イエスは、その悪霊を追い出すために宣教に来られました。イエスのビタミン愛の補給です。

顕現後第5主日 B年
 列王記下 4章18~21, 32~37節
 詩編 第142編
 コリントの信徒への手紙一 9章16~23節
 マルコによる福音書 1章29~39節

01/28

 カファルナウムは、ガリラヤ湖北西にある漁港です。ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの町であるベトサイダの西隣の町です。一行はベトサイダからカファルナウムに向かいます。イエスはすぐに安息日に会堂に入り教え始めます。カファルナウム会堂の土台と数本の柱は現在も保存されています。マタイ23章「律法学者とファリサイ派を非難する」やマルコ12章とルカ11および20章に記されているように律法学者やファリサイ派の人々は「律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしている」とイエスに非難されています。律法学者やファリサイ派の人々は、律法を用いて解釈しますが、自分の利益のために利用します。苦しみ悩む民衆のために解釈・支持するのではなく、自分の損得のために行動します。イエスの教えは、ご自分のために解釈するのではなく、苦しみ悩む民のためにあります。イエスの教えは、民を自由にするためのものです。すぐに会堂に汚れた霊につかれた男が叫びます。イエスは「黙れ。この人から出て行け」と命じると汚れた霊は出て行きます。人々は権威ある新しい教えだと驚きます。新しい教えとは、苦しみ悩み低く小さくされた者たちに仕えることです。仕える権威をもってイエスは来られました。

顕現後第4主日 B年
 申命記 18章15~20節
 詩編 第78編1~8節
 コリントの信徒への手紙一 8章1b~13節
 マルコによる福音書 1章21~28節

01/21

 マルコ福音書は、4つの福音書の中で最初に書かれ紀元後70年前後と言われます。マルコに誕生物語はありません。今日の箇所から公生涯の始まりです。マルコは「すぐに」(エウトウス)という語を多用して躍動的な描写に溢れているのを感じさせます。イエスの第1声は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」です。時は単なる時間(クロノス)ではなく、神の国が近づいたという時(カイロス)です。「福音を信じなさい」は直訳すると「福音の中で信じなさい」となります。福音はグッド・ニュースでイエス・キリストそのものです。イエスは、洗礼者ヨハネがヘロデ・アンティパス王に捕縛されたと聞き、ガリラヤの地に行き湖の畔を歩きます。シモンとアンデレに①近づきます。網を打っているのを②御覧になります。そして③「わたしについて来なさい」と言われます。二人は網を④捨てて⑤従った。ヤコブとヨハネの召命も同じ①~⑤までのパターンで弟子となります。「捨てて」と「残して」はアフィエーミで「去らせる、送り出す、放棄する、後に残す、(罪を)赦す」という意味があります。シモンたちは、イエスの呼びかけのことばを待ち望んでいました。イエスのことばは人生を変えます。

顕現後第3主日 B年
エレミヤ書 3章21~4章2節
詩編 第130編
コリントの信徒への手紙一 7章17~23節
マルコによる福音書 1章14~20節

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