最新牧師コラムの記事一覧

07/16

 「『種を蒔く人』のたとえ」と「『種を蒔く人』のたとえの説明」とあります。主イエスは、湖のほとりに座って教えようとしたのですが、群衆が余りにも大勢なので舟に乗って座り教えました。教える人は座り、教えを受ける人は立ちます。ユダヤの種蒔きは、耕してから畑に蒔くのではなく種を蒔き終わってから耕します。種を蒔いたところが畑になります。道はあるのではなく、人が歩くから道になります。石地や茨であっても種を蒔いて耕せば畑になります。種蒔く人は、ところかまわず種を蒔きます。ここは道だから、石地、茨だから蒔かないとは言いません。たまたま良い土地に落ちた種は百倍、六十倍、三十倍になります。
 18~23節のたとえの説明は、イエスが言われたのではなく初代教会が記したものです。「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人」とあります。良い土地になれるように努力しましょうとなりますと福音ではなく道徳になるような気がします。福音とは、道であっても、石地、茨でも、種蒔く人は種(福音)を蒔いてくださることです。種を蒔かれると、土地は芽を出させようと変わります。

聖霊降臨後第6主日 A年 特定10
 イザヤ書 55章1~5, 10~13節
 第65編9~13節
 ローマの信徒への手紙 8章9~17節
 マタイによる福音書 13章1~9, 18~23節

07/02

 洗礼によってキリストの死と復活に与るのだとパウロは言います。わたしたちは新しい出発のために今までのことを断念しなければなりませんが、だからといってボタン一つでリセットできないのが人生というものです。罪に死んで新しくされたキリスト者であっても実際の人生が白紙になるわけではありません。洗礼を受けてもわたしたちの肉体は同じままであり、家族、生活環境、仕事や学校にも何ら変化がないかもしれません。能力も同じであれば限界や欠点もおそらくそのままです。けれども「新しい命」は与えられます。心から嬉しい時、目に映る景色がすっかり違っているという経験があるはずです。大人になって親の苦労がわかるように、いつしか自分が変えられていく。それも新しい命の経験ではないでしょうか。

聖霊降臨後第4主日 A年・特定8
 イザヤ書 2章10~17節
 詩編 89編1~4, 15~18節
 ローマの信徒への手紙 6章3~11節
 マタイによる福音書 10章34~42節

06/25

 二十世紀の後半、私たちはようやくに、地球を一つの命として人類を運命共同体として捉えるようになりました。しかしパウロはそれを先取りしています。悪や暴力が存在する世界に神が求めるのは、全ての命が天地創造の時のようなすばらしい姿に立ち返ること、神は裁きたいのではなく生かしたいのだ、という考えです。
 イエス・キリストが救い主であるという信仰は、イエスが私たちの希望であるという信仰です。愛と赦しに生きたのは天高く座しておられる方ではなく、私たちと同じように、痛み、苦しみ、嘆き、怒りもした人間イエスです。イエスが私たちの罪を肩代わりしてくれたというよりも、愛と赦しという人間の可能性を具体的に示してくれたという希望の信仰です。

聖霊降臨後第3主日(A年 特定7)
 エレミヤ書 20章7~13節
 詩編 69編7~10, 15~17節
 ローマの信徒への手紙 5章15b~19節
 マタイによる福音書 10章(16~23), 24~33節

06/18

 通常は「権威」と訳されますがなぜか「権能」となっています。イエスが弟子に与えた権威は「汚れた霊」に対するもので、これはイエス自身の力でもありました。弟子たちが苦しむ人を助け悪と闘うことがイエスの望みです。弟子たちが仲間内で偉そうに振る舞ったり弱いものを困らせる時、イエスが失望し厳しく叱りつけたことを思い出す必要があります。少数意見は無視してもいいという多数派の驕り、偏った意見に従いながら自分は公平に正義を行っているという指導者の尊大さは、イエスから授けられた権威とは無縁の権力であり、それは利己心の現れです。原点は、人間の痛みに対する深い共感、痛みや悲しみに対する感受性、異なる立場の声に耳を傾ける謙虚さではないでしょうか。

聖霊降臨後第2主日 A年 特定6
 出エジプト記 19章2~8a節
 詩編 100編
 ローマの信徒への手紙 5章6~11節
 マタイによる福音書 9章35~10章8, (9~15)節

06/11

 コリントの教会には問題が多く、パウロはたびたび苦言を呈しています。しかし本当なら皆が自分の弱さを知って謙虚になり、各自の使命を自覚して欲しいと願っています。権威の目的は「壊す」ことではなく「造り上げる」ことだとパウロは語ります。不都合なものを排除するのではなく、ともに歩む仲間として互いに最善を尽くせるように権威が用いられる必要があります。それは患部を切り取る外科医ではなく免疫力の改善に務める内科医のような心と言えるでしょう。患者に傾聴し心とからだ全体の様子に配慮する名医のように、権威を与えられた者は偏りのない優れた観察者でなければなりません。そのようなリーダーであったパウロは、信徒たちにもそうあって欲しいと願っているのです。

三位一体主日・聖霊降臨後第1主日 A年
 創世記 1章1節~2章3節
 詩編 150編
 コリントの信徒への手紙二 13章(5~10), 11~13節
 マタイによる福音書 28章16~20節

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