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最新牧師コラムの記事一覧

11/04

 「最も重要な掟」で、並行箇所はマタイ22:34~40とルカ10:25~28にあります。律法学者が「あらゆる掟で、どれが第一でしょうか」と尋ねます。イエスは申命記6:4の「聞け、イスラエルよ」を引用して「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と言われ、第二は「隣人を自分のように愛しなさい」とレビ記19:18を引用します。律法学者は第一を尋ねますが、イエスは第二まで言われ「この二つにまさる掟はほかにはない」と続けます。律法学者は「ほかに神はない」と付け加え、第一と第二を結び合わせます。そして「どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」と言います。この32~33節は並行箇所にはありません。マルコ独自です。イエスは律法学者に「あなたは、神の国から遠くない」と言われます。律法学者がほめられている箇所はここだけです。並行箇所が、何故この部分を引用しなかったのかは分かりません。ルカには「正しい答だ。それを実行しなさい」とありますので、この律法学者も知ってはいても実行しなかったのかもしれません。律法学者がイエスの後に従ったとはありません。「隣人を自分のように愛しなさい」は実行が求められます。イエスご自身、そのように生き死なれたからこそ復活させられたのです。

聖霊降臨後第24主日 B年 特定26
 申命記 6章1~9節
 詩編 第119編1~8節
 ヘブライ人への手紙 7章22~28節
 マルコによる福音書 12章28~34節

10/28

 エルサレムへの途中、イエスは三度目の自分の死と復活を予告します。また、その途中で、ヤコブとヨハネが、イエスが栄光を受けられるときナンバー・ワンとツーにしてくださいと願います。他の弟子たちは、出し抜かれたことに腹を立てます。彼らはエリコの町に入り、通り過ぎようとされていたとき、町の門近くの道端にティマイの息子(バル)が座っていました。バルティマイは目が不自由で物乞いをしています。大勢の群衆がイエスの後について行くのを知った彼は「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫びます。憐れむは、キリエ・エレイソンのエレエオーです。ダビデの子は政治的であるため、多くの人々が叱りつけます。しかし、バルティマイはますます同じ言葉を繰り返し叫びます。イエスは、あの男を呼べと言います。呼べが3回使われます。バルティマイは躍り上がってイエスのところに来ます。「何をしてほしいのか」と言われ、「目が見えるようになりたい」と応えます。見えるはアナブレポーで再び見えるという意味です。イエスは「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。道端に座っていたバルティマイは、信仰の道の上でイエスに従う者とされます。イエスの道は、エルサレムの十字架の道へと続きます。

聖霊降臨後第23主日 B年 特定25
 イザヤ書 59章9~19節
 詩編 第13編
 ヘブライ人への手紙 5章12節~6章2, 9~12節
 マルコによる福音書 10章46~52節

10/21

 宣教拠点地であるガリラヤ湖畔のカファルナウムから、いよいよエルサレムの途中の出来事です。弟子たちの中のヤコブとヨハネは「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」と言います。当然のようにかなえられると信じている言葉のようです。その願いは、イエスの右と左に座らせてください。つまり、弟子たちの中でナンバー・ワンとナンバー・ツーにしてくださいというのです。イエスは十字架を象徴する杯と洗礼を受けることができるかと問います。二人はしっかりと「できます」と応えます。イエスは、定められた人、準備(用意)された人に許されていると応えます。他の10人はこれに腹を立てますので、彼らも同じ事を思っています。イエスは、弟子たちの間では支配と権力があってはならないと言われます。偉くなりたい人は、皆に仕える者に、いちばん上になりたい者はすべての人の僕になりなさいと言われます。人の子であるイエスは、仕えられるためではなく仕えるために、多くの人の身代金として自分の命を十字架の上に献げるために来たと言われます。ナンバー・ワンは自分と他者を苦しめます。仕えること・僕であることは十字架につながります。十字架はオンリー・ワンの解放と喜びです。

聖霊降臨後第22主日 B年 特定24
 イザヤ書 53章4~12節
 詩編 第22編19~28節
 ヘブライ人への手紙 4章12~16節
 マルコによる福音書 10章35~45節

10/14

 福音書には「金持ちの男」とあり、マタイ19:16には「金持ちの青年」、ルカ18:18には「金持ちの議員」とあります。男は、イエスが旅に出て留守になる前に是非とも聞きたいことがあります。男は、走ってイエスに近づきひざまずいて尋ねます。男の熱心さが伝わります。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と尋ねます。善いはアガソスで神のみに用います。イエスは誰をも知る十戒の後半を知っているだろうと言います。男は「子どもの時から守ってきました」と応えます。イエスは、彼をじっと見つめて慈しんで言われます。慈しむはアガパオーで最大級の愛です。イエスは「あなたに欠けて(劣って)いるものが一つある」と言います。「持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい…天に宝を積むことになる」と言われます。男は、この言葉に気を落とし悲しみながら立ち去ります。たくさんの財産を持っていたからです。パウロは「『姦淫するな…むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」(ロマ13:9)と言います。律法は隣人愛です。財産を持つ者は、たくさんの財産が永遠の命の道と信じています。イエスは、財産ではなく隣人愛が永遠の命・神の国へのチケットであることを教えます。

聖霊降臨後第21主日 B年 特定23
 アモス書 5章6~7, 10~15節
 詩編 第90編1~8, 12節
 ヘブライ人への手紙 3章1~6節
 マルコによる福音書 10章17~27節

10/07

 ファリサイ派は、申命記24:1節以下の「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去れせる」とある律法を知っています。彼らは、このように夫が妻を離縁することは律法にあるので許されていると言うのです。離縁について尋ねられたイエスは「モーセは何と言っているか」と質問を質問で返します。彼らは離縁状を渡せば離婚は自由勝手だと言います。イエスは「あなたたちの心が頑固だから、そのような掟をモーセは書いたのだ」と言います。心が頑固とは、スクレイロ・カルデアであり、スクレイロは硬い、カルデアは心です。心が硬くて粗いので、妻の心に思いが至りません。イエスは「神は人を男と女につくられた。人は父母を離れ、その妻と結ばれ二人は一体である」と続けます。離れは棄てるとも訳されます。一体は一つの肉です。「神が結び合わせてくださったものを人(男)は離してはなりません。妻と夫は互いに愛し大切にし合います。女と男は隣人の始まりです。「隣人を自分のように愛(大切に)しなさい」は黄金律です。小さくされた隣人は大切にされなければ、その人から離れるのは当然です。妻も夫も隣人も、互いに大切にし合うところに生きる喜びがあります。

聖霊降臨後第20主日 B年・特定22
 創世記 2章18~24節
 詩編 第128編
 ヘブライ人への手紙 2章9~18節
 マルコによる福音書 10章2~9節

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