最新牧師コラムの記事一覧

07/15

 今主日の福音書は「十二人を派遣する」です。ナザレ付近の村々か、イエスの宣教拠点であったカファルナウム付近であったかは定かではありません。イエスは、十二弟子たちを呼び寄せ、二人ずつ組みにして宣教に遣わします。そのとき、汚れた霊に対する権能を授けます。しかし、宣教の旅には、杖一本、下着一枚とサンダルだけを持ち、パン、袋、帯の中にお金も持たせません。杖は獣や蛇を追い払います。サンダルは荒れ野から足を守るためです。マタイとルカ福音書は、マルコより厳しく、これらのものを持って行ってはならないとあります。また、「ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりまさい」とも言われます。マタイは「働く者が食べ物を受けるのは当然である」(10:10)とあります。
 わたしたちは、杖、パン、袋、お金、履物、下着、上着を確実にしようと努めています。それが正しい生き方かは疑問です。そのような努力が悪霊であり、病にさせるような気がします。イエスは、そのような汚れた霊を追い出す権能を弟子たちに授けます。弟子たちを迎え入れる人々は、その呪縛に気づかされ解放されます。弟子たちの貧しさは豊かさの象徴です。

聖霊降臨後第8主日 B年 10
 アモス書 7章7~15節
 詩編 第85編7~13節
 エフェソの信徒への手紙 1章1~14節
 マルコによる福音書 6章7~13節

07/08

 イエスは、ペトロの町カファルナウムを拠点として宣教されます。今日は、湖畔のカファルナウムから30㎞程離れた盆地イエスの故郷ナザレの話です。今のナザレにはモスクと教会がたくさんあり賑やかです。安息日になったので、イエス一行は、ユダヤ教会堂に行きます。そこで、イエスは聖書を説き明かします。「彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マタイ7:29)とありますように、ナザレの人々は驚きます。そして、「『この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか』と、このように人々はイエスにつまずいた」とあります。つまずくは、スカンダリゾーと言い、罠の棒という意味で、醜聞のスキャンダルの語源となりました。イエスは「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われます。逆に、預言者は、それ以外のところでは敬われるのです。イエスをよく知る人々は、無意識的に自分を高めたいので、イエスを低めます。人間は強くなりたいのです。人間が強さを誇ることは空しいことです。第2朗読で、パウロは「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」「弱いときにこそ強い」と言います。

聖霊降臨後第7主日 B年 特定9
 エゼキエル書 2章1~7節
 詩編 第123編
 コリントの信徒への手紙二 12章2~10節
 マルコによる福音書 6章1~6節

07/01

 イエスの一行は、ガリラヤ湖南のゲラサ人地方から再びカファルナウムに戻ります。大勢の群衆がイエスを取り囲み始めます。そこの会堂長であるヤイロが、イエスを見るとその足下に倒れるようにひれ伏し「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう」としきりに願います。ヤイロはユダヤ教の会堂の責任者であり指導者です。ヤイロがイエスに懇願することは憚れるかも知れません。ヤイロはそうであってもイエスに信頼します。
 その時、娘が死んだことを知らされます。イエスはそれを聞き流し、ヤイロに「恐れることはない。ただ信じなさい」と言います。人々は泣き騒いでいます。イエスは「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」と言います。人々はイエスをあざ笑います。イエスは、両親と三人の弟子だけを連れ子供の部屋に入ります。子供の手を取り「タリタ(少女よ)、クム(起きなさい)」と言われます。少女はすぐに起き上がり歩き出します。イエスはヤイロの信仰の貧しさに、ご自分の豊かな信仰をお与えになります。主が貧しくなられることによって、ヤイロは信仰豊にされます。ヤイロも娘も起き上がりよみがえさせられます。

聖霊降臨後第6主日 B年 特定8
 申命記 15章7~11節
 詩編 第112編
 コリントの信徒への手紙二 8章1~9, 13~15節
 マルコによる福音書 5章22~24, 35b~43節
 

06/24

 主イエスの宣教の中心地はカファルナウムです。群衆にたとえで教え、弟子たちには直接教えます。夕方、カファルナウムを離れ、舟の中から教えていたイエスをそのまま乗せて向こう岸に出港します。他に幾艘か一緒です。ガリラヤ湖は地形上突風が吹くようです。弟子たちはよく知っています。その時、"大きな風の突(旋)風"が起こり、波が舟の中まで打ち込んできます。舟は水で一杯になりそうです。それにも拘わらず、イエスは船尾で眠っています。弟子たちは「先生、わたしたちが死ん(滅ん)でも気にならない(平気な)のですか」と言います。イエスは起き上がって「黙れ、静まれ(口をつぐめ)」と言われます。風はおさまり大凪となります。イエスは「なぜ臆病で、恐れるのか。まだ信仰がないのか」と言われます。弟子たちは「この方はいったい誰だろう。風や湖もさえも従うではないか」と言い合います。
 人生は向こう岸を目指します。人生は波風荒い海を渡っていくようなものです。舟に水が一杯入って沈みそうになり、弟子たちは主はいないのではないかと思いますが、イエスが起き上がり波風を鎮めます。わたしたちはこの方は誰なのかと驚きます。しかし、復活の主に出会うと、弟子たち、わたしたちは恐れることなく人生の向こう岸を目指して主イエスについて行くのです。

聖霊降臨後第5主日 B年 特定7
 ヨブ記 38章1~11, 16~18節
 詩編 第107編1~3, 23~32節
 コリントの信徒への手紙二 5章14~21節
 マルコによる福音書 4章35~41, (5章1~20)節

06/17

 本日の福音書は「『成長する種』のたとえ」と「『からし種』のたとえ」、そして「たとえを用いて語る」とあります。「たとえを用いて語る」はこの他にもあります。「『成長する種』のたとえ」は、マルコ福音書だけです。また、「『からし種』のたとえ」はマタイとルカにもあります。「成長する種」では、人は土に種を蒔きます。種は何日か後に芽を出して成長します。土はひとりでに実を結ばせます。穂の次に豊かな実を結ばせます。人は、道や石地、茨、畑に種を蒔きます。土はひとりでに実を豊に結ばせます。ひとりでには、ギリシャ語でオートマトスで、わたしたちが知るオートマチック的に地は実を結ばせます。種を蒔きさえすれば、人が思い煩わなくても、神はご自分の造られた土によって実を豊に結ばせます。収穫のために、神は鎌を入れ(宣教に遣わし)ます。収穫の時だからです。
 からし種は1ミリもないほどの粉のような種です。しかし、それが芽を出して成長すると3メートルほどの木になり、その木陰に空の鳥が巣をつくります。空の鳥は異邦人です。神の国はひとりでに実を結び、小さくても大きくなって虐げられている異邦人に居場所と糧を与えます。

聖霊降臨後第4主日 B年 特定6
 エゼキエル書 31章1~6, 10~14節
 詩編 第92編1~4, 12~15節
 コリントの信徒への手紙二 5章1~10節
 マルコによる福音書 4章26~34節

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