最新牧師コラムの記事一覧

11/19

 天の国のたとえの続きです。ある人が国外の旅に出る前に、僕たちに自分の財産を預けます。タラントンは貨幣の単位で、5タラントンは100年分の日当に値します。3番目の僕は1タラントンですが20年分の賃金です。25節の「あなたのお金」は、原文では「あなたのもの」です。また、27節の「金」はタラントンではなく、アルグリオンで銀、銀貨、お金という語彙です。タラントンは、現在用いられている「タレント」の語源です。何かに秀でた才能、能力に使用されます。15節の「力に応じて」の力はデュナミスですが、タレントに似ているかもしれません。5タラントンと2タラントンを預かった僕たちは、早速に出て行き商売をして儲けました。1タラントンを預かった僕は、主人を蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集める厳しい人と思い込んでいますが、あとの二人は、主人からのタラントンを喜んでいます。主人は、タラントンを増やそうが減らそうが一向に気にしません。タラントンを活用してもらいたいだけなのです。タラントンは活用する者に更に与えられます。主人を信じる者は儲けていくのです。 

聖霊降臨後第24主日 A年 特定28
 ゼファニヤ書 1章7,12~18節
 詩編 第90編1~8, 12
 テサロニケの信徒への手紙一 5章1~10節
 マタイによる福音書 25章14~15,19~29節

11/12

 「十人のおとめ」のたとえで、最後は「だから、目を覚ましていなさい」と締めます。その前の24:42にも「だから、目を覚ましていなさい」があります。この二つの言葉で、二つの話「忠実な僕と悪い僕」そして、今日の箇所を挟んでいます。主題は「目を覚ましている」ことになります。
 寓話ですから、何処まで解釈するかは難しいところがあります。おとめは教会に、花婿はキリストのような気がしますが、おとめはわたしたち一人ひとりのキリスト者かもしれません。当時の結婚は、花婿が介添人を連れて花嫁の両親の家に迎えに行きます。金銭の話し合いがあったかもしれません。花婿の帰りが遅くなります。賢いと愚かの違いは、知的な差ではなく先を見通す分別のようです。愚かなおとめたちは、ともし火を持っていましたが灯し続ける油を持っていませんでした。目を覚ましていなさいとありますが、皆が眠ってしまいました。問題は、灯し続けるための油を準備していなかったことにあります。目を覚ましているということは、ともし火、油を意味しています。ともし火と油がキリストに出会わせてくれます。いのちのともし火です。

聖霊降臨後第23主日 A年 特定27
 アモス書 5章18~24節
 詩編 第70編
 テサロニケの信徒への手紙一 4章13~18節
 マタイによる福音書 25章1~13節

11/06

 「律法学者とファリサイ派の人々を非難する」とあります。イエスが非難したのではなく、マタイの教会の対立を描いています。5~7節は、イエスが直接に指摘した言葉のようです。彼らは、神への信仰ではなく、自分たちが尊敬されたいので自分たちの行為を見せたいのです。小箱の中には聖句が入っていて、額や腕にしばり付けて祈ります。その小箱を大きくしたりします。今でも、ラビたちは鬢(びん)を切らずに伸ばし、黒く長いコートを着て生活しています。上席、上座、そして広場で先生(ラビ)と呼ばれることを好みます。
 イエスは「あなたがたは先生(ラビ)と呼ばれてはならない。あなたがたの師(ディダスカロス・教師)は一人だけ。あとは皆兄弟。地上の者を父(パテール)と呼んではならない。教師(カティゲェーテェース・案内者・先達)と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師は、キリスト一人だけである。あなたがたのうちでいちばん偉い人は、(あなたがたに)仕える者(ディアコノス)になりなさい。高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と言われます。すべて人に見せるために行うことは、真実な生き方ではありません。イエスは仕える者になりなさいと言われます。大より小の生き方が人を生かします。イエスの仕える生き方がわたしたちの福音になりました。

聖霊降臨後第22主日 A年 特定26
 ミカ書 3章5~12節
 詩編 第131編
 テサロニケの信徒への手紙一 2章9~13, 17~20節
 マタイによる福音書 23章1~12節

10/29

 隣人はプレーシオンと言い、プレーシオスの「近くの、近所の」からできた言葉です。隣の文字は、土塀が鬼火のようにゆらゆらと続く様子からできました。今日の「最も重要な掟」はマルコとルカにもあります。神を愛することは申命記6:4~5に、隣人を愛することはレビ記19:18bに記されています。全ての律法が同じように重要であると思っている律法の専門家は、イエスにどの掟が最も重要かと質問し試みます。一つを取り上げたなら、それは最も重要なものではないと非難するつもりでした。イエスは、神である主を愛すること、それと同じように重要である隣人愛、そして律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいていると応えられます。イエスは、掟であるモーセ五書の他に律法全体と預言者と言い、旧約聖書すべてを含んでいると言われます。「基づいている」は、この二つが蝶番(ちょうつがい)のように旧約聖書全体を支えているという意味です。ルカは、この話の後に「善いサマリア人」を加え、イエスは誰が隣人になったと思うか、あなたも同じようにしなさいと言われます。生きる目的は、自分の中にあるのではなく自分の外にいる隣人にあるのです。

聖霊降臨後第21主日 A年 特定25
 出エジプト記 22章20~26節
 詩編 第1編
 テサロニケの信徒への手紙一 2章1~8節
 マタイによる福音書 22章34~46節
 

10/22

 ローマ帝国の手先のヘロデ派はローマに税を納めることは当然で、愛国主義のファリサイ派は反対です。異なる二派は、民衆に受け入れられるイエスを妬み罠にかけます。彼らは「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです」と言います。まことにその通りですが、彼らはそう思っていませんので大きな罪です。次に「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」と尋ねます。イエスは、お金を持っていませんので見せてもらいます。デナリオン銀貨には、皇帝アウグストゥスの像と銘があります。イエスは「誰の像と銘か」と問います。彼らは「皇帝のものです」と応えます。イエスは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言います。イエスが政教分離を言ったのであれば十字架の上に殺されません。サドカイ派は、皇帝のもの全てを皇帝に返していません。ファリサイ派も、神殿税の全てを神殿に返していません。イエスは、彼らに隣人への愛、民衆を大切にすることを正します。イエスは持たないことで人々を大切にします。持たないことの自由です。

聖霊降臨後第20主日 A年 特定24
 イザヤ書 45章1~7節
 詩編 第96編1~9節
 テサロニケの信徒への手紙一 1章1~10節
 マタイによる福音書 22章15~22節

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