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 今日の福音書はルカだけのものです。しかし、貧しく小さくされた者が神によって守られることは、聖書の強い底流です。気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるための「やもめと裁判官」のたとえです。「気を落とさず」は、「怠る」あるいは「倦む」とも訳せますので、倦まず弛まず常に祈ることであり、それはもっともっと積極的に祈ることです。

 裁判官は神を畏れず人を人とも思わないようですが、同じ町に一人のやもめもおりました。「やもめの涙は頬を伝って流れているではないか。その叫びは、涙を流せた者を責めている」(シラ35:18,19)。

 やもめはたった独りで、自分を守ってくれる人はいません。やもめは、わたしを訴える者から守ってくださいと懇願します。この裁判官は暫くほうっておきますが、その後、彼は自分の中(独り言)で、「やもめが面倒をかけるから、彼女のために裁判をして(守って)やろう」やもめは裁判官を悩ませます。「悩ます」は「目の下を殴る」という言葉です。たとえ話はここで終わり、以下は解説です。

「まして神は」の「まして」は、不正な裁判官であってもやもめの執拗な訴えを聞くのだから、神は尚更に、昼も夜も叫び求める選ばれた人たちのために裁き(守り)を行い、ほうってはおかないと言われます。「貧しいからといって主はえこひいきされないが、虐げられている者の祈りを聞き入れられる。主はみなしごの願いを無視されず、やもめの訴える苦情を顧みられる」(シラ35:16,17)。

「まして神は」の「まして」が救いにつながります。神は速やかに裁い(守っ)てくださいます。守るは「エクディケオー」で、ここで4回用いられ、守る、裁判をする、裁き、裁いてと訳されていますが、すべてを守る、擁護すると訳せます。

 小さくされた者のための倦まず弛まず続けられる祈りは、必ず神の守りが与えられます。それが神の保証です。

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