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 今日から新しい教会歴です。今年はA年日課から、福音書はマタイを中心にして聴きます。主のご降誕であるクリスマスをお迎えする最初の主日に、「人の子はいつ来られるか分からないのですから、いつも目を覚ましていなさい」との主の来臨の箇所からみ言葉を聴きます。クリスマス、主のご降誕は、すなわち主の来臨、人の子が来られることです。

 "ノアは主の好意を得た。…ノアは神に従う無垢な人であった。"…「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。…彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい」と主はノアに言われます。ノアは大地の上で箱舟を造り上げると大洪水がおこります。生きながらえたのは、ノアとその家族、そしてすべての動植物の一つのつがいでした。ノアが箱舟を造る理由を人々は分からないと同時に滑稽であったでしょう。しかし、すべての人々は大洪水によって滅び去ってしまいました。(創世記6~8章)

 ノアの洪水と同じように、人の子の来臨はいつあるのか分かりません。二人の男が畑仕事に、また二人の女が臼引きという日常の仕事に携わっている時、人の子が来られる終わり(裁き)の日に、二人のうち一人が連れて行かれ、もう一人は残されます。連れて行かれるの意味は、受け継ぐとか、迎え入れられるですから救われることです。一方、残されるの意味は、放棄、棄て去ることですから滅びの中に残されることです。常日頃同じ仕事をしていなければなりませんが生き方に違いがあるので、一人は救われ、一人は滅びます。

 目を覚ますことは、今日の使徒書の愛です。隣人を自分のように大切にすることです。イザヤ書の平和に通じます。人が人として尊重され全うされることが平和です。全う、十全はwholeです。これはheal(health)に通じます。人の子の来臨の時に、連れて行かれることを願いますが、それは目的ではありません。まさかの時でも、目覚めて人を大切にすることが救いです。

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