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 死海の北西クムランには、クムラン教団が共同生活をしていた住居跡があります。屋根はなく石を積んだ壁が部屋を仕切っています。かつては、漆喰などが塗ってありしっかりした修道院ではなかったかと想像しました。洗礼者ヨハネは、そのクムラン教団と関わりがあったようです。ヨハネもクムラン教団と同じように、町中ではなく荒れ野に向かいました。荒れ野は静寂で人ではなく、神と出会う場所だからです。

 死海に流れ込むヨルダン川で、ヨハネは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言うと、人々は罪を告白しヨハネから洗礼を受けました。クムラン教団やユダヤ教の洗礼は、罪を洗い清めるために何度でも繰り返し行われました。ヨハネの洗礼は、悔い改めの洗礼であり一回限りです。

 ヨハネは人々に悔い改めを勧め、洗礼にふさわしい実を結べと言います。ヨハネの言う実とは、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」です。今日のイザヤ書では「貧しい人を公平に弁護」、詩編では「正義をもって貧しい人を計らう」です。

 洗礼者ヨハネは、「わたしの後から来られる方は、わたしより優れておられ、聖霊と火で洗礼をお授けになる」と言っています。ロンドンのナショナル・ギャラリーにフランチェスカの「キリストの洗礼」(1442-45)という絵があります。川岸にイエスが手を合わせて立ち、ヨハネが右手に持った深皿の水をイエスの頭上に注いでいます。その上に、翼を広げた白い鳩がいます。洗礼は、この頃すでに頭に注ぐ滴礼だったのでしょうか。

 洗礼は、元来「水に浸す」という言葉から派生しています。洗い清めるのではなく、水の中に浸って死に与り、新しい命に生かされるのです。裁きを恐れたり、実を結ぶためでもなく、神の子とされるのが洗礼です。自分しか見えなかった古い自分が、神の方向に向き直って、神に向かって進む新しい生き方にされるのです。

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