01/09

 マルコ福音書は、1:9以下でイエスはヨハネから洗礼を受けられた。マタイとルカは、主イエス誕生物語を記した後に、イエスがヨハネから洗礼を受けられた。ヨハネ福音書は、「言が肉となった」と主イエス誕生を記した後、イエスがヨハネから洗礼を受けたと読めるような記述の仕方をしています。イエスの洗礼の記述が異なっています。

 イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けるためにガリラヤからヨルダン川のヨハネのところに来られます。ヨハネは、わたしこそあなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたがわたしから洗礼を受けられると驚きます。イエスは、わたしがあなたから洗礼を受けることを止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、わたしたちにふさわしいことであると言われます。

 ヨハネの洗礼は、洗い流して清め悔い改めるという意味のようです。イエスの洗礼は、ヨハネが言うように聖霊と火でなされ一度限りのものです。洗礼は正しいことの始まりです。正しいことは、義です。「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる」「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(5:,10)「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることはできない」(5:20)と言われる義です。

 洗礼は、バプテスマと振り仮名があるように水に浸すことです。現在は、礼拝堂の中ですから頭の上に注ぐ滴礼です。本来は全身を水の中に浸します。水の中で人は死ぬのです。パウロは、洗礼はキリストの死にあずかるために(ロマ6:3)受けると言っています。水の中に全身を浸して、水の中で死ぬからこそ、キリストに結ばれます。その時、これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者という天からの声が聞こえます。これこそ、身を沈める喜びです。

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