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 ヨハネ福音書では、洗礼者ヨハネに洗礼者という名称はつけられていません。ヨハネは、光について証しするために来たとあります。1:19節から「ヨハネの証し」が記され、わたしはメシアでもエリアでもあの預言者でもない。わたしの後から来られる方は、わたしがその履物のひもを解く資格もないほどの方であると証しします。

 ヨハネは、近づいて来られるイエスを見て、世の罪を取り除く神の小羊。わたしよりも、この方は優れている。この方がイスラエルに現れるために、わたしは水で洗礼をしている。この方は、聖霊によって洗礼を授ける、この方こそ神の子であると言います。ヨハネ以外の共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は、イエスが洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けられたと記していますが、ヨハネ福音書では明確に記していません。洗礼よりイエスが神の小羊・神の子であることを証しするために来たことを強調しています。

 ヨハネは二人の弟子たちといる時、イエスを見て「見よ、神の小羊だ」と言います。すると、ヨハネの二人の弟子たちはイエスに従います。そして、イエスの泊まっているところに一緒に泊まります。泊まるは、霊がとどまると同じ言葉です。イエスの上に霊がとどまると同じように、ヨハネの弟子たちもイエスにとどまるのです。とどまり、泊まることによって、イエスが何方なのか見えてくるのです。見るという言葉も四種類の言葉を用いて、単なる見るではなく、霊的・超自然的に見てとるという言葉を用いています。

 アンデレは、イエスにとどまり泊まった後、兄弟ペトロに、わたしはメシア(キリスト)に出会ったと証しします。アンデレは、霊の目で視て、とどまり尋ね探したからこそ、自分の生涯を委ねるメシアに出会ったのです。

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