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洗礼者ヨハネの逮捕を伝え聞いたイエスは、ガリラヤに退きます。「退く」は退却をイメージしますが、異邦人のガリラヤだからこそ目指すのです。イエスの時代、すでにそこは異邦人の地ではありませんが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1:46)と蔑まれた地域でした。ガリラヤにイエスという大きな光が射し込んだのです。イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣教を始めました。悔い改めるから天の国が近づくのではなく、天の国が近づいているから悔い改めます。

 イエスは、ガリラヤ湖周辺を歩いておられました。ただ単に歩いていたのではなく、歩き廻ることを頻繁にされていました。ペトロとアンデレにやっと出会います。彼らが網を打っている最中に「人間をとる漁師にしょう」と声をかけます。二人は、すぐさま網を捨てて従います。「従う」は「聴く」という言葉からの派生です。聴くからついて行くのです。

 次に、ヤコブとヨハネに出会います。彼らは、父親ゼベダイの舟の中で網の手入れをしていました。前と同じように、イエスが声をかけると、二人はすぐさま舟と父親を残して従います。「残す」は網を捨てたと同じ言葉ですから「捨てる」に近い意味です。

 弟子が師を選ぶこともありますが、ここでは師であるイエスが一方的に弟子たちに声をかけると、弟子たちは従うのです。これを召命と言います。信仰はわたしが選ぶのではなく、神がわたしを選ばれるのです。選ばれると召命が最も大切なものになります。

 イエスの十字架・復活後に、弟子たちがガリラヤ湖で漁をする場面(ヨハネ21)がありますので、「捨てる」とは大切なもののために今までのことを一時中断することかもしれません。パウロも天幕つくりをしながら宣教しました。いずれにしても、イエスに選ばれた人は今までの生き方がひっくり返されます。

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