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 イエスは、群衆を見て山に登られます。腰をおろすと弟子たちが近寄ります。師が腰をおろすのは、弟子たちを教えるためです。教えるを、真実をときあかした(本田訳)と訳すものもあります。群衆もいましたが、イエスの教えは弟子たちに語られます。真実のときあかしですから、イエスに従う人に向けて教えられるのです。

 3節~10節までが「山上の八福」と言われます。8つの節が「幸いだ」(マカリオス)で始まります。11節も「幸いだ」で始まりますが、前の8つとは違います。3~6節までが1つの区切り。貧しい、悲しむ、柔和、飢え渇くは、同じ文字(π)で始まります。7~10節は2つ目の区切り。全体を「天の国はその人たちのものである」で囲みます。

 「心の貧しい人々」とは、決して心の貧弱な人々ではありません。「心」と訳した語は「霊」です。霊において貧しいのです。「自分に誇り頼むものが一切ない者」(岩波訳)とか「自己の人間的な貧しさに気づいている人々」(新共同訳スタディバイブル)と説明されます。ルカ福音書では「富んでいるあなたがたは不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている」(6:24)とあります。

 今日の使徒書には、知恵ある者や腕力ある者に恥をかかせるために、無力な者、身分の卑しい者、見下されている者を選んだとあります。誰一人、神の前で誇ることがないために、誇るならば主を誇れとあります。自分には何も誇るものがないので、主にのみ信頼するのです。それが真の幸いです。

 幸い(マカリオイ)は、最高の幸福です。この世の幸いではなく、神がお与えになる幸いです。悲しむマグダラのマリアは、復活のイエスから「おはよう(マカリオス)」と呼びかけられます。不安の中にある11人の弟子たちは、八福と同じ山に登って復活の主に出会います。自分の中に誇るものがないから、神に信頼する。これが幸せの真骨頂なのです。

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