02/06

 イエスは弟子たちに「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」と言われます。イエスの弟子たち、わたしたちキリスト信者は、それだけで地(世)の塩、世の光なのです。

 塩は岩塩ですから、空気中の湿気によって塩分が溶けてしまうと、岩・石粒になります。役には立ちませんので、軽蔑・無視され外に捨てられ踏みつけられます。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)「命は人間を照らす光であった」(ヨハネ1:4b)。

 わたしたち自身が光ではなく、わたしたちの中にキリストの光が灯ります。その光を人々の前に輝かします。あなたがたの立派な行いによって、天の父をあがめるとマタイは記します。16節はマタイ独自の箇所で、マタイの教会がユダヤ教の中にあって、緊張しつつ信仰に励まされ、塩・光となって、信仰の成長を遂げようとしている様子がうかがえます。

 次もマタイ独自で、イエスは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するために来たと言われます。律法は形だけでも守っていれば、神の恵みがあると信じられていたようです。それに対して、形は守る必要はないというキリスト者グループが現れてマタイは警告します。最も小さい掟を一つでも破り・教える者は、天の国には居ますが最も小さい者と呼ばれます。しかし、守り・教える者は、天の国で最も大いなる者と呼ばれます。

 律法を完成させるの完成は、完了させる・終了させるとも訳せます。イエスは、形だけの律法を遵守するのではなく、それを超越した「隣人を自分のように愛(大切に)しなさい」によって、律法を完成(終了)させようとします。イエスに愛されるから、人は神と人とを愛することができるようになります。ここに塩と光が注がれます。

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