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 先週に引き続き、故郷ナザレでの宣教活動のことを通して学びます。私たちはいつも耳触りのいい、うきうきさせるような言葉を求めがちです。ナザレの人々もそうでした。メシアであるというのなら、地縁血縁に基づいて自分たちに利益が与えられえてもいいはずだ。自分だけが良ければそれでいい。隣の村の人々がどうであろうとも、まずは自分たちのことが最初でなければ我慢できないのです。イエスを批判します。

 隣人が見えないような人々に対してイエスはその要求を満たそうとはしませんでした。神の愛は、自分をどうにかするということではなく、隣人に対してどのような思いを持つことが大切であるかをしっかりと受け止める者に向けられます。

 ナザレでの出来事はイエスが何を大切にして宣教活動をし続けたのかを、その方向性を明確にします。私たちも隣人へのまなざしをどれだけ持つことができるかが問われています。

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