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 「十人のおとめ」のたとえで、最後は「だから、目を覚ましていなさい」と締めます。その前の24:42にも「だから、目を覚ましていなさい」があります。この二つの言葉で、二つの話「忠実な僕と悪い僕」そして、今日の箇所を挟んでいます。主題は「目を覚ましている」ことになります。
 寓話ですから、何処まで解釈するかは難しいところがあります。おとめは教会に、花婿はキリストのような気がしますが、おとめはわたしたち一人ひとりのキリスト者かもしれません。当時の結婚は、花婿が介添人を連れて花嫁の両親の家に迎えに行きます。金銭の話し合いがあったかもしれません。花婿の帰りが遅くなります。賢いと愚かの違いは、知的な差ではなく先を見通す分別のようです。愚かなおとめたちは、ともし火を持っていましたが灯し続ける油を持っていませんでした。目を覚ましていなさいとありますが、皆が眠ってしまいました。問題は、灯し続けるための油を準備していなかったことにあります。目を覚ましているということは、ともし火、油を意味しています。ともし火と油がキリストに出会わせてくれます。いのちのともし火です。

聖霊降臨後第23主日 A年 特定27
 アモス書 5章18~24節
 詩編 第70編
 テサロニケの信徒への手紙一 4章13~18節
 マタイによる福音書 25章1~13節

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