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03/18

 過越祭の頃、ギリシャ人たちがイエスに会いに来ます。イエスは「人の子が栄光を受ける時が来た」と言われます。栄光とは、輝かしい成功を表現する言葉ですが、イエスの栄光は十字架の上に死ぬことを表します。その時(ホーラ)が来ました。ホーラはカイロスと同様に、ある定まった時間であり、イエス・キリストの十字架の時です。イエスは、わたしたちのよく知る「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」と言われます。自分の命の命はプシュケー(肉の命)を用いています。永遠の命の命はゾォーエー(超自然的な命・永遠の命)を用いています。永遠の命は、自分の命を憎む人に与えられますが、そのようなことは可能でしょうか。ヘブル語には比較級がありませんので、自分の命をより少なく愛する人という意味です。キリストは、わたしたちにまことの命をお与えくださるために十字架をあえて担われます。イエスは、ご自分の命を少なく愛されたので三日目に復活させられます。キリストの道を歩み、自分の命を少なく愛する者は永遠の命に与ります。これが命の大逆転です。

大斎節第5主日 B年
 エレミヤ書 31章31~34節
 詩編 第51編10~15節
 ヘブライ人への手紙 5章5~10節
 ヨハネによる福音書 12章20~33節

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