最新牧師コラムの記事一覧

10/15

 「『婚宴』のたとえ」と題されています。並行箇所としてルカ14章15~24節の「『大宴会』のたとえ」があります。マタイ22章2~5節と8~10節の資料が似ています。婚礼の招待を無視して、一人は畑に、一人は商売に出かけてしまいます。6~7節は、マタイの挿入でローマ軍によるエルサレム陥落の記述のようです。招いていた人々はふさわしくなかったので、王は大通りに出て誰でも連れてきなさいと家来に命じます。善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになりました。王の婚宴の客は誰でも良いのです。王は、善人と悪人を区別しません。王は招かれた客を見ようと入りますと、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いました。王は「友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」と尋ねます。黙って答えません。大通りから急に婚宴に連れて来られた人が婚礼の礼服を持っているはずがありません。「仲間よ、どうして婚礼の服を受け取らずにここに入ったのか」と本田哲郎は訳しています。婚礼の服は、婚宴の主催者が貸し出すようです。礼服を借りて着れば良いのですが、この人は受け取りを拒否しました。王は、婚宴に招いて信仰の礼服を貸したいのです。信仰のドレスコードは喜び・感謝・賛美です。

聖霊降臨後第19主日 A年 特定23 聖書日課
 イザヤ書 25章1~9節
 詩編 第23編
 フィリピの信徒への手紙 4章4~13節
 マタイによる福音書 22章1~14節

10/08

  「『ぶどう園と農夫』のたとえ」は寓話です。神殿の境内で、イエスが祭司長たちに話していた続きです。23節以下に権威の議論があり、次に二人の息子のたとえ、そして今日の寓話です。話していた相手は祭司長たちです。ある家の主人が完備したぶどう園をつくり、農夫たちに貸して遠くの自分の屋敷に帰ります。収穫の時期なので、貸賃の収穫を受け取るために僕たちを送ります。僕たちは袋だたきや殺されます。二度目も同じでした。最後に、主人は自分の独り子なら敬ってくれるだろうと送ります。しかし、農夫たちは「これは跡取りだから、殺して、彼の相続財産を自分たちのものにしよう」と相談して、ぶどう園の外にほうり出して殺します。イエスは「ぶどう園の主人は、この農夫たちをどうするだろうか」と祭司長たちに質問します。彼らは「その悪人たちをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園を季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない」と心ならずも本音で応えます。主人の僕たちを殺したのは自分たちです。主人は、どのような目に遭わせられてもぶどう園を貸したいのです。そして、その収穫を分かち合いたいのです。分かち合うと増えていくのが神の愛なのです。

聖霊降臨後第18主日 A年 特定22
 イザヤ書 5章1~7節
 詩編 第80編14~19節
 フィリピの信徒への手紙 3章13~21節
 マタイによる福音書 21章33~43説

10/01

 「『二人の息子』のたとえ」とあり、マタイ独自の神の国のたとえです。21章でイエスはエルサレムに入城し、神殿で商売人を追い出し、強盗の巣ではなく祈りの家とせよと言います。それを見た祭司長や律法学者たちは腹を立てます。イエスが境内で教え始めると、何の権威でするのかと尋ねます。イエスは逆に、ヨハネの洗礼は天からのものか、人からのものかと尋ねます。天からと言えば何故信じなかったのかと言われるし、人からと言えばヨハネを預言者と信じる群衆が怖くなります。逃げ口上で分からないと答えます。
 イエスは、そのような祭司長や律法学者たちに「二人の息子のたとえ」を話します。兄は「いや」と言いますが、考え直してぶどう園に出かけ働きます。弟は「承知しました」と言っても行きません。弟である祭司長や律法学者たちは考え直さずぶどう園に行きません。考え直すことは悔い改めであり回心です。見下され差別されている徴税人や娼婦たちは、イエスに愛され大切にされているので考え直して神の国であるぶどう園に行くことができます。しなやかに生きる術を知っています。

聖霊降臨後第17主日 A年 特定21
 エゼキエル書 18章1~4, 25~32節
 詩編 第25編4~10節
 フィリピの信徒への手紙 2章1~13節
 マタイによる福音書 21章28~32節

09/24

 天の国のたとえです。ぶどう園の主人自らが、自分のぶどう園で働く労働者を雇うために夜明けに広場に出かけます。朝6時前、1日につき1デナリオン(約1万円)の約束で労働者をぶどう園に送ります。9時頃に行くと、何もしないでいる人たちがいたので「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と言います。12時と3時頃にも同じようにします。5時頃に行くと人びとがいたので「なぜ、何もしないで1日中ここに立っているのか」と尋ねます。彼らは「だれも雇ってくれないのです」と応えます。主人は彼らにも「ぶどう園に行きなさい」と言います。夕方、主人は管理人に「最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を支払ってやりなさい」と言います。1時間しか働かない者が1デナリオンなので、最初に雇われた人はもっと多くもらえるだろうと思いましたが同じでした。不平を言います。主人は「友よ、あなたに不当なことはしていない…この最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」と言います。ぶどう園で働くことは労働ではありません。主人のぶどう園に雇われ働くことは恵みです。最初の者たちが、たくさん恵みに与れたことは幸せです。たった1時間の人たちにも同じ恵みを与えたいのです。恵みにおいては、神は不公平な方です。

聖霊降臨後第16主日 A年 特定20
 旧 約 ヨナ書 3章10節~4章11節
 詩 編 第145編8~13節
 使徒書 フィリピの信徒への手紙 1章21~28a節
 福音書 マタイによる福音書 20章1~16節

 

09/17

 ペトロが赦しについて尋ねます。イエスは際限なく赦しなさいと言われます。天の国のたとえです。王は、自分の家来たち全員にお金を貸しています。決済で、最初に大きな借金1タラントン(約6千億円)借りている家来が王の前に連れて来られます。返済不可能です。王は、自分、妻、子と全ての持ち物を売り払って返すよう命じます。家来は、ひれ伏し「どうか待ってください。きっとお返しします」と言います。王は憐れ(スプランクニゾーマイ、内臓が痛むこと)に思って借金を帳消しにします。ところが、この家来は外で1百デナリオン(1百万円)貸している仲間に出会い、首を絞めて「借金を返せ」と言います。さきほどの自分と同じように懇願する仲間を承知せず、借金を返すまでと牢に入れます。これを聞いた王は「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も仲間を憐れんでやるべきではなかったか」と言い、借金を返すまでと牢に入れます。この家来は、王に膨大な借金を赦されたと思っていません。しめしめ上手く言い逃れた。なんとお人好しなのだと軽蔑しています。自分は騙されないぞと生きているので、仲間の1百万円を赦せません。赦しは、神によって多くを赦され生きていることを知ることから始まります。

聖霊降臨後第15主日 A年 特定19
 旧 約 シラ書 27章30節~28章7節
 詩 編 第103編8~13節
 使徒書 ローマの信徒への手紙14章5~12節
 福音書 マタイによる福音書 18章21~35節

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