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01/14

 顕現後第2主日の福音書はA~C年すべてヨハネ福音書から聴きます。A年は1:29~41で「神の小羊」と「最初の弟子たち」、B年は本日の箇所で「フィリポとナタナエル、弟子となる」、C年は2:1~11で「カナでの婚礼」です。A年はアンデレがペトロたちをイエスに出会わせ、B年はフィリポがナタナエルを出会わせ、C年は最初のしるしで栄光を現され、弟子たちはイエスを信じます。イエスが弟子たちに出会って、弟子たちは他の弟子たちを連れて来てイエスに出会わせます。イエスとの出会いとその栄光が主題です。

 イエスはガリラヤに行く途中、フィリポに出会います。出会ったばかりのフィリポは、ナタナエルに出会いヘブライ聖書が書いている方に出会ったと言います。ナタナエルは、ナザレからキリストが出るとは信じていません。しかし、フィリポは「来て、見なさい」とイエスとの出会いを勧めます。イエスは、ナタナエルと始めて出会うのですが知っています。ナタナエルは驚きます。それ以上に「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」と言われます。創世記28:12にヤコブの夢があり、その描写と似ています。天が開け、イエスは神のみ力を現すのです。

顕現後第2主日 B年
 サムエル記上 3章1~10節
 詩編 第63編1~8節
 コリントの信徒への手紙一 6章11b~20節
 ヨハネによる福音書 1章43~51節

01/07

 今日の福音書の箇所はマルコ1:7~11ですが、7~8節は前段の「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」に含まれ、9~11節は「イエス、洗礼を受ける」になります。しかし、イエスは、洗礼者ヨハネから「ヨルダンでヨハネから洗礼を受けられた」(1:9b)とあります。マルコの教会は、イエスが洗礼者ヨハネより劣った者と見なされないようにと「わたしより優れた方」とか「その方の履物のひもを解く値打ちもない(奴隷の仕事)」、そして「わたしは水で洗礼…その方は聖霊で洗礼をお授けになる」と記述しました。
 イエスは、洗礼者ヨハネの噂を聞いてナザレからヨルダン川に来て洗礼を受けられます。周囲の人々には、イエスの受洗が見えたはずです。しかし、次の「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のよう御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』(直訳で「わたしはあなたを喜んだ」)という声が、天から聞こえた」は、周囲の人々には聞こえません。イエスだけが聞きました。洗礼者ヨハネの洗礼は悔い改めの洗礼ですが、天からの声を聞いたイエスの洗礼は罪の赦しの洗礼となります。洗礼の時の神の愛が、イエスを十字架まで導きます。神の愛は大きな喜びです。

顕現後第1主日・主イエス洗礼の日 B年
 イザヤ書 42章1~9節
 詩編 第89編19~29節
 使徒言行録 10章34~38節
 マルコによる福音書 1章7~11節

01/01

 毎年、1月1日に読まれる箇所は同じです。「イエスの誕生」は、並行箇所としてマタイ1:18~25にあり夫ヨセフが描かれます。ルカはマリアが描写されます。「羊飼いと天使」はルカだけです。羊飼いたちは、夜通し野宿をしながら羊の群れの番をします。そこに天使が現れ、あなたがたのために救い主、メシアが生まれた。飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子がそのしるしであると言います。マリアとヨセフは、住民登録のためにナザレからダビデの町ベツレヘムに百㎞以上の旅をしてきます。ところが、羊飼いたちは、住民登録を課されないほどに貧しいのです。神は、その貧しさの極みにある羊飼いたちを選ばれます。15,17,19節にレーマ(語ること、言葉、事柄、こと、出来事)が用いられています。羊飼いたちは、主が知らせてくださった出来事を見ようと言います。マリアは、これらの出来事をすべて心に納め、思い巡らしていたとあります。17節で、羊飼いたちは幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせますが、人々は不思議に思うだけでした。レーマは言葉ですが、神の言葉は出来事になります。今日は主イエス命名の日です。イエスは「主は救い」という言葉です。この救いは信仰によって実現し出来事になります。

主イエス命名の日 B年
 出エジプト記 34章1~9節
 詩編 第8編
 ローマの信徒への手紙 1章1~7節
 ルカによる福音書 2章15~21節

12/31

 ヨハネによる福音書1章14~18節は、15節を除いて「わたしたち」が用いられています。ヨハネ福音書を著したグループの「わたしたち」の信仰告白です。肉となった言は、わたしたちの間に宿られ、恵みと真理に満ちていました。17節で「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである」ともう一度恵みと真理を用います。今日の特祷に「あなたは驚くべきみ業によりわたしたちをみかたちに似せて造られ、さらに驚くべきみ業により、み子イエス・キリストによって、その似姿を回復してくださいました」とあります。「似姿を回復してくださった」とあるのは、罪により神の似姿を失ったからです。罪から立ち上がるために、律法がモーセを通して与えられます。しかし、律法によっては、罪の重荷に苦しむだけで解放には至りません。イエス・キリストの十字架の死による罪の贖いが必要でした。十字架という驚くべきみ業によって似姿が回復されます。18節「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」の「示す」は指導する、案内する、先頭を行くです。主イエス・キリストは十字架の上に死ぬことによって、わたしたちに神の似姿を見させたのです。

降誕後第1主日 B年
 イザヤ書 61章10節~62章3節
 詩編 第147編12~20節
 ガラテヤの信徒への手紙 3章23~25,4章4~7節
 ヨハネによる福音書 1章1~18節

12/25

 「言が肉となった」とタイトルが付けられています。言はロゴスです。1節に3回と14節に1回用いられ、2節から13節までを囲んでいます。あとの文では代名詞が用いられます。初めはアルケーですが、時間的な初めばかりではなく根源的な初めです。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という言によってすべてのものが成り(ギノマイ)ました。成るもいくつか用いられます。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」は旧約聖書の最初の書である創世記を思い起こさせます。「初めに、神は天地を創造された。神は言われた『光あれ』。こうして光があった…神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」とあります。天の大空に光る物である太陽の創造は第4日目ですから、初めの光は太陽の光ではありません。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」とあります。光は暗闇の中だからこそ、その中で輝きます。「暗闇は光を理解しなかった」を直訳しますと、「暗闇は光に打ち勝てなかった」となります。言(ロゴス)はキリストです。キリストは暗闇の中で輝き、暗闇はキリストに勝つことはできません。

降誕日 B年
 イザヤ書 52章7~10節
 詩編 第98編1~5節
 ヘブライ人への手紙 1章1~12節
 ヨハネによる福音書 1章1~14節

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